豪州の日本領事館でパスポートを更新しました。家族との日本一時帰国の日程が有りましたので、更新のスピードは非常に気になりました。幸いにも無事日程通り、帰国しました。全くパスポートとは関係ありませんが、我が借家の大きな庭のユーカリの木が倒れ、根こそぎ抜かれました。無残な跡地でした。大家さんにも相談せずに、跡地を芝地にしました。跡地を平に整地し、芝の種を蒔きました。鳥の砂遊びの場所になったので、蒔き直し、カバーをして芝を育てました。ビューティフルガーデンになったと近所から褒められていた矢先、我が借家が突然オークションに出されました。残念でしたが、引っ越しました。
最初にパスポートを取得したのは、メキシコ行でした。メキシコでは労働ビザの取得でした。日本でも当然ですが、労働ビザは歓迎されません。俯瞰的に見れば、その国で働くことは、その国のためになることで、感謝されて当然だと考えられないこともないですが、その国の方々の労働を奪うと考えられることが一般的です。私は入国時に列の最後に回される一種の差別がありました。列の最後で審査官に寄って集っての荷物の審査を実施していただき、問題ないことを確認していただきました。有難いことです。入国審査はどこの国も厳しいものです。日本でも荷物検査は厳しいです。これを克服してこそ国際人になれると思います
リンク先ウェブページ;私のパスポート物語;MY PASSPORT STORY
マックパソコンLC630を購入し、二十年前、外付けモデムで自力でインターネットに接続しました。今のプロバイダーはそれ以来のおつきあいです。自分のホームページも開設しました。
2018年秋、サーバーをお借りし、独自ドメインを設定し、自前のホームページに致しました。独自ドメインと、サーバーの業者が異なったため、サーバー内で、独自ドメインを認識させるのに手間取りました。独自ドメインと、サーバーの業者は同一の方がベターだと思いました。予備ホームページの場合は、同一業者に致しました。スムーズに立ち上げました。
会社でインターネットを初めて経験し、これを自宅でやってみたいと思いました。私のパソコンはインターネットがやれる環境ではなかったので、外付けモデムを導入しました。マックのPCにはインターネット通信ソフトが入っていなかったので、パソコン雑誌のCDロムから、それらしきソフトを手動でPCコントロールにコピーしTCP/IPの設定を素人ながら実施しました。当初はデーターを書き込み、トライ&エラーで幾度も書き直し、ある夜、ネットスケープナビゲーターの四角窓(右上か?)が一瞬光り輝き、Macの爆弾が表示され、ネットは切断いたしましたが、再起動後、接続に成功しました。人生最大の感激だったと思います。その後2か月の入院後、正月に一時退院した時、インターネット接続が不可になっていました。プロバイダーが撤退したとのことでした。その時、雑誌CDロムのソーネットの接続ソフトを起動しそれ以来プロバイダーはソネットとなっています。25年前の出来事でした
リンク先ウェブページ;私のインターネット物語;MY INTERNET STORY
自分でやってみよう24;TRY MEASURES TO PREVENT DISASTERS (防災を考えよう)
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
台風や地震が未曾有の被害をもたらし、年々被害も深刻になってきている。自分で身を守ることが求められている。そうであるならば自分は何ができるのか、自問自答せよ。
今年も梅雨の時期になってきました。今も雨が降っています。庭木には恵の雨となっています。雨が集中すると、山崩れ、河川の氾濫が発生します。河川の氾濫は、対策が重要です。河川が決壊して水が人家を襲って来ます。高台に家を移す必要があります。
私が小学校時代に習ったことは、水が氾濫して家を襲う恐れがある地帯は、一階は納屋にしていて、居住は二階以上にしている所があると聞いています。今でもそうなっているのでしょうか。九州地方では、わざわざ既存のダムを壊して、アユの生育を優先している地域もあると聞いています。それならば、河川の氾濫を見越して、安全な高台に皆さんは家を移動されたのでしょうか。下流域の市街地を守るために、上流域は氾濫させてもよい広大なエリヤを準備している地域もあったと学生時代に知った知識でしたが、50年経った今はどうなっているのでしょうか。
大雨の災害は、避けて通れない日本ですから、知恵を絞って、恒久対策を逐次取っていただきたいものです
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山の田んぼに行く道;ACCESS TO THE RICE FIELDS IN THE MOUNTAIN 雑感PDF 動画ファイル(MP4)
高校時代まで付き合っていた山の田んぼに行く道を50年ぶりに辿った。途中笹が生えていてアクセス不能となっていた。それらの状況を報告しました。
山の田んぼは2ヶ所ありました。併せて4反ありました。家の周りに1反ありました。小学生の頃から田植え稲刈りは手伝っていました。特に山の田んぼはそこに行くまで、山道を登って行くのです。奥と呼ばれていた山の田んぼは墓地を通り、更に怖い所を通って行くのです。荷物も持たされています。坂道はほとんど道ばかり眺めて、汗をかきながら登って行ったものです。甑岩と呼ばれていた大きな岩を見れば到着です。私は山登りは好きではないです。小さい頃山登り(そんなに高くないが)をしていたせいか、山に登って景色を見下ろしても感動がないのです。
今山の田んぼはアクセスできない状態になっています。藪を切り開けば、行けるでしょうが、誰もアクセスした形跡がないのです。タクシーの運転手の方に聞いても、今は山に入って、薪を取る人はいないとのことです。お風呂も電化、ガス化されていて、薪は必要ないのです。グーグル地図で上空から見ても、田んぼの跡が確認できません。田んぼは最早無くなっているのでしょうか
リンク先ウェブページ;山の田んぼに行く道;ACCESS TO THE RICE FIELDS IN THE MOUNTAIN
ふるさとを離れて半世紀になります。無性にふるさとにアクセスしたくなり、行ってみました。
ある時ネットを見ていたら、懐かしい山の名前が出てきました。更に見ていたら、私が高校生時代まで通っていた山の田んぼに行く道が出てきたのです。その時以来生まれた所に行ってみようと無性にふるさとに行ってみたくなりました。ほば半世紀ぶりになります。家内を案内することもできるので、故郷行を計画しました。それ以来一人で故郷を一人で歩き回りました。歩き回りましたが、幼馴染には出会いませんでした。ホテルでフロントの方に声をかけられましたが、私は気づきませんでした。高校までの同級生でした、また母方の兄のお家に行ってみました。兄の奥様(当時96歳)は健在でした。海に面していた塩田跡は、工場ができ、太陽光発電の基地ができていました。小中学校もとっくに廃校になっていました。様変わりをしていましたが、山並みは変わっていませんでした。
今はグーグルマップで、道路からの景観が見られる状態になっています。特に海外の場合は非常に有難いです。行ってみたい所は、どこでも飛んで行けることができます。タイでも豪州でも、メキシコでもダイナミックに移動ができます。有難いことです
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40年ぶりに錦帯橋に行きました。河川敷の敷石、水流の速い川面、錦帯橋の橋梁アーチなど、堪能しました。
岩国駅で降り、錦帯橋行のバスに乗り込みました。土地勘がありましたので、迷わず錦帯橋に向かいました。錦帯橋辺りは馴染み深い所でしたが、その奥は記憶がなく、興味深く探索しました。ケーブルカーに乗ってお城に行ってみました。岩国城は一国一城の徳川幕府の政策により、日の目を見ることはなかったのですが、現在は凛として城山に在籍しています。錦帯橋を様々な角度から撮影し、ウェブにアップロードしました。錦川の川面に降りて、下から橋を眺めるのも良いものです。錦帯橋の構造をカメラで捉えてみると、構造が認識されてきます。カメラに収めることは、被写体のより深い認識をすることができるものです。
錦帯橋の橋を渡り、来た方向に振り返りますと、山並みに一際違和感を放つ建物が有ります。宮島でもそうでしたが、景色に違和感を感じさせる建物は有難くないものです。そのような違和感はできたら撤去して、後世に悔いが残らないようにしたいです。今は非常に残念な状態です
リンク先ウェブページ;ふるさとウォーク;WALKING HOME
初冬の塔ノ沢に行きました。ホテル周辺のモミジを堪能しました。
塔ノ沢のホテルにはよく行っていますが、このホテルの近傍にこれほどのモミジの木々があるとは知りませんでした。モミジの木は紅葉をして初めて認識するのではないかと思います。
今回は、たまたまモミジの紅葉の時期だったのです。有難いことに、ホテルを散策する余裕がありましたので、塔ノ沢駅の近傍にも行ってみました。山の中にもモミジの木々がありました。この機会に、塔ノ沢のモミジを堪能しました。塔ノ沢に行くには箱根湯本駅から、徒歩で行っています。一度、箱根登山電車を利用した事が有ります。徒歩ですと、山の風情が分かりませんが、電車ですと、山の中を通りますので、風景が良く理解できます。
塔ノ沢は箱根登山の入り口です。湯本駅から徒歩で行くことができます。ホテルも馴染み深いです。次は宮ノ下近辺のホテルです。私どもは山の上でなくて、このあたりの温泉が近くて有難いです。梅雨時になると、蛍も楽しめます。宿から見える蛍も有難いです。熱海や、伊豆に行くと、バスでの蛍狩りもありますが。。。。
今、梅雨の終わりの長雨の季節です。蛍の宿が、大雨で流されないことを願っています
リンク先ウェブページ;塔ノ沢の初冬;TOUNOSAWA IN EARLY WINTER
毎晩夢を見ています。朝起きて記憶している夢をスケッチブックに描いてみたい。
このアイテムはスケッチブックに正に将来の夢を描くと言う意味かと思いきや、そうではなく、寝た時見た際の夢の内容をそのまま記録しておくと言う内容です。夢の内容を仕分けすると、会社での席がない、車を運転するとブレーキがかからない、試験を受けると内容が分からない、時間内にできない、トイレの場所がない、ゴルフでは道具を忘れた、ぬかるみを歩いていて、背広が台無しになる、学校へ遅刻する、大学では単位が未修得で卒業できない等、焦りまくる内容となっています。私の経験で負の内容の集積が夢となって、脳裏に浮かんでくるのではと思います。これを書いていっても、得る内容が無いと思い、途中で中断しています。
今朝見た夢は、荒野を駆け巡る壮大なものでした。高い所から下に向かって、ツル上の構造物が走っていました。それに向かって、滑り下って行くのです。二度目も同様な状態で、最後は水の中への着水でした。そこには鹿がこちらに向かって来ていました。私はまだ水の中にいます。そこで目覚めました
リンク先ウェブページ;スケッチブックに夢を描く; DREAMS ON THE SKETCHBOOK
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新神戸駅で下車しました;WALKING AFTER GETTING OFF AT SHIN-KOBE STATION 雑感PDF 動画ファイル(MP4)
新神戸駅で下車し、神戸空港、メリケン波止場を散策しました。
新神戸駅は私にとって、いつも通過駅でした。いつかは下車してみたい駅でした。名古屋に二泊する機会が有りましたので、名古屋から新神戸駅に行ってみました。正に千載一遇の絶好の機会でした。新神戸駅で下車し、時間が早かったので、インフォメーションセンターが分からず、闇雲に、海の方向に、歩き始めました。カメラを片手に、ドンドン歩いて行きましたが、海は遠くに感じました。かなり歩いた所で、駅が有りました。行ってみると、空港に行く交通機関が有りました。ポートライナーと言う名前でした。空港は神戸空港でした。私は関空は知っていましたが、神戸空港は認識していませんでした。思ってもいない神戸空港で離着陸の飛行機を久しぶりに見ました。それから、三ノ宮に行き、メリケンパークに向かい、再び、海に行ってみました。メリケンパークを散策し、神戸駅に行きました。神戸駅から、各駅停車で名古屋に向かいました。途中乗り継ぎ、かなりの時間をかけて、名古屋に到着しました。米原から名古屋はかなり混雑していました。新幹線の特急料金は時間の節約になり、高額ですが有難いものです。身に沁みて感じました。楽しいリラックスできた神戸訪問でした
リンク先ウェブページ;新神戸駅で下車しました; WALKING AFTER GETTING OFF AT SHIN-KOBE STATION
高速船で松山に行き、高速バスで高知に入り、四国まんなか千年ものがたり号で大歩危から多度津経由で岡山に行き、新幹線で帰路につきました。
新幹線の広島到着手前で、確か尾道辺りでしょうか、列車が停止しました。山口県内で、線路内架線に飛来物が有り、除去しているのでと言うアナウンスが有りました。一時間程度の臨時停止でした。幸いにもそれ以降の旅程には影響が有りませんでした。
四国松山には数回訪問した事が有ります。今回は広島の宇品港から高速船で松山に行きました。途中呉に寄港し、音戸の瀬戸を通りました。音戸の瀬戸は、母から小さい頃によく聞かされていましたので、いつか行ってみたい場所の一つでした。波は静かでしたが狭い航路で潮流が早い難所であると聞いていました。ゆっくりと速度を落として無事通り抜けました。瀬戸を通り抜けると、高速で松山に向かいました。松山市街地を散策し、高知に高速バスで向かいました。トンネルの多い高速道路といった印象を持ちました。高知は初めてでしたので、目新しい事ばかりでした。市街地は電車に乗り、桂浜はバスで向かいました。時季はずれでしたので、観光客は私達だけでした。高知から多度津へはJRで向かいました。観光列車を利用し、楽しみました。岡山からは新幹線で帰途につきました
リンク先ウェブページ;松山・高知に行って来ました; I WENT TO MATSUYAMA AND KOCHI
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修善寺駅で下車しました;WALKING AFTER GETTING OFF AT SHUZENJI STATION 雑感PDF 動画ファイル(MP4)
修善寺駅で下車し、先ず修禅寺を散策しました。
今回初めて修善寺駅と修善寺温泉郷の修禅寺の字が異なることが分かった。修善寺温泉は車では数回訪問しているが、電車で行くと、趣が全然違っていた。伊豆を旅行していて電車を利用する時は、JRの修善寺駅が起点になりますので、この駅はちょくちょく利用しています。またこの沿線に狩野川が見られます。私の記憶では狩野川台風で記憶されています。またアユ釣りの解禁日で名前が聞かれます。修善寺温泉郷では、修禅寺を散策しました。静かな佇まいでした。
修禅寺駅を後にして、中伊豆のホテルに向かいました。チェックイン後時間が有りましたので、ワイナリーを訪問しました。緑一色の広大なブドウ畑が眼下に広がっていました。ワイナリー内でワインの製造過程の見学をさせていただきました。これらの設備を維持するシステム、ブドウを栽培していくシステムなど、いずれも根気の要る時間が必要な壮大なプロジェクトです。中伊豆にも素晴らしい場所が有ったんだと今回改めて認識しました。これらの状態を見学させていただいて有難うございました。ワイン産地は海外、国内を問わず、多々ある中で、中伊豆ワインにも注目して行きましょう
リンク先ウェブページ;修善寺駅で下車しました; WALKING AFTER GETTING OFF AT SHUZENJI STATION
伊豆クレイルで伊豆急下田駅に行ってきました。下田から堂ヶ島に移動しました。
小田原駅で伊豆クレイルがあることを知りました。一回利用してみたくなり、堂ヶ島に行く機会にこれを利用してみました。列車内で特製のお弁当をいただき、東海道線、伊東線、伊豆急行線を利用し、伊豆急下田までを楽しみました。ゆっくりと走る列車の旅で、疲れませんでした。2020年3月で廃止になったそうですが、また同様な企画で復活させて欲しいと思います。伊豆急下田から堂ヶ島へは、バスで向かいました。バスは山道を走って、峠を越えて、海に出ました。この路線も楽しいものでした。伊豆急下田の一歩手前の蓮台寺駅経由ですので、次回堂ヶ島行きはこの蓮台寺駅で下車することにしても良いと思います。
堂ヶ島のホテルに一泊いたしました。朝、車で来られた方々には、車洗車のサービスが有りました。皆さん車で来られるのでしょう。我々車利用でない方は、ここには必要ないのでしょう。何か物足りなさが、昨夜の食事から発生していました。電車では、ちょっと便利が悪い場所の印象が拭えない所でしょうか。。。。
リンク先ウェブページ;伊豆クレイルで伊豆急下田駅に行ってきました;
WE VISITED IZUKYU-SHIMODA STATION BY IZU CRAILE
私の介護史がスタートしました。不勉強な介護システムを実行しております。
私の姉(19歳違い)の介護のお手伝いを突然する羽目になりました。誰も介護の面倒をみる人がいないので、私に、番が回ってきました。私は全くの介護音痴で、要介護、要支援、デイサービス、介護タクシーの言葉等全く知りませんでした。施設を選び、姉の了解で、面倒を見てもらうことになりました。今年で3年に成りますが、その間に、家の家財の整理も実施しました。家の管理(火災保険、電話、ガス、電気、水道、植栽、郵便物、税金、新聞)を実施しています。お陰様で介護システムを現在勉強しております。
この間、新聞広告で塗り絵の通信教育を知り、興味が有るとの情報を係から得、早速塗り絵の教材を送付しました。大人の易しい塗り絵と言う題でしたので、問題なく使ってくれるだろうと判断していましたが、NGの判定でした。それから良い教材はないかとネットで探していたら、或る介護のホームページから、提供していただける材料を発見いたしました。この絵のダウンロードを許可していただき、早速送付しました。今度は、使えるとのことで、この事案は解決いたしました
リンク先ウェブページ;自分でやってみよう;26 私の介護史をまとめてみました;
HISTORY OF MY WORKING TO NURSE ELDERLY PERSON