当初ホームページを作成するタイトルを「自分で作ってみよう」としました。さらに範囲を広げ、「自分でやってみよう」をタイトルに追加しました。合計が20アイテム以上のリンク数になりました。今後さらに納得できる内容にしていきたいです。各アイテムについてPDFで解説したり、雑感を述べてみました。
ホームページアイテム数も70アイテムを越えました。すべてが過去の記憶に基づいて構成されています。画像、動画も過去の記録を編集したものです。「私の雑感」を加えたのも本音に近い文章もあった方が良いと思って実現しました。私のホームページは自分史に近いもので、誰も興味を持っていただけないと思いますが、私の歴史を世界中に開示しておくのも悪くはないと思っています。特に小学校、中学校は引き継がれているものの、名前は廃止されていますので、学窓追想で、振り返ってみました。同窓生の方々、先輩の方々もウェブ上で、盛り立てていただければ、ありがたいのですが。。。。
このアイテムで、書き込みが非常に少ないことを認識しました。加筆して、充実させることを決断し、完成に近づいてきました。雑感を述べさせていただきました
リンク先ウェブページ;私の雑感 MY THOUGHTS リンク先ウェブページ;私の雑感3 MY THOUGHTS3 リンク先ウェブページ;私の雑感4 MY THOUGHTS4 リンク先ウェブページ;私の雑感5 MY THOUGHTS5
私のエンタメ体験史;MY HISTORY OF EXPERIENCE ON ENTERTAINMENT (私のエンタメ体験を振り返ります)
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
自転車の練習は自転車の調達、練習の遣り方、練習後の技能訓練など、私のエンタメ体験としては、忘れられないアイテムです 小学校4年生になる春休みに、自宅前の道で自転車練習をしました。当時父の自転車しか練習する自転車はなく、昼に食事に家に帰っていた時しか練習するタイミングはなかったのです。父に無断で自転車を持ち出し、弟と一時間の練習を十日位続けました。近所の同級生は皆自転車に乗ることができていましたので、何とか自転車を確保して、練習できないものかと思い付いたアイデアでした。多分父は何も言いませんでしたが、毎日練習していたのは知っていたと思います。 弟に後の荷台を持って倒れない様に走ってもらい、私は左足をペダルに載せ、ハンドルで倒れない様にバランスを取る練習をしました。弟と交代で同じことを繰り返しました。バランスが取れる様になると右足をもう一方のペダルに載せ、ペダルを漕いで、自走できる練習をしました。当時は大人の自転車で、三角乗り(サドルに座らない乗り方)をしていました。道路は舗装されていませんでした。三角乗りなのでバランスを崩すと道から外れて田圃によく落っこちたものでした 小学校4年生の時、友達から子供用の自転車(当時は珍しかった)を借り、サドルをまたいでペダルを踏みました。新世界を体験しました。
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車体小僧;MY HISTORY OF EXPERIENCE ON BODY SHOP (私の車体小僧振りを振り返ります)
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
乗用車の製造に携わって30年になりました。乗用車の車体組立を終始一貫担当しました。車体組立の経験は乗用車製造でないと経験できません。
車体組立の製造ラインに乗せるために、デザイン部門、構造設計部門との遣り取りが重要で、交渉力、製造設備への反映力、技術革新力など、ハイレベルが要求されます。
バラツキのない品質確保のための設計力、車体に要求される外観品質、溶接の耐久性管理など、種々のシステム、道具が必要です。社会に立派に旅立たせる車造りは我子を育てるのと同様、結局はどの位の愛情を注いだかと言うことに尽きます。
日本人はこだわりを持つ性格があります。私も何かにつけてこだわってきました。製造部門にいると、品質基準はもちろん、それでは測れない事柄に於いて、自分で満足のいくまで追求していきます。しかし営利は追求しなければ、生きていけません。どこで手を打つかが重要になります。落し所を決する訓練が必要です。
定年退職後の就職は今や非常に重要な事案です。就職するには、それまでに技能を取得しておく必要が有ります。職種の中には、仕事の中で、技能を身に付けることができるものが有ります。私の車体小僧は、そうではありませんでした。プレス、塗装などは、応用が利き、有利です。是非そんな事も考えておいた方が良いと思います
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私は"お掃じいじ"です;MY HISTORY OF EXPERIENCE ON HOUSE CLEANING (お掃除のエキスパートを目指している"じいじ"です)
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
小学生の頃から、家の清掃をやってきました。掃除をして、スッキリしたかったのではないかと思います。
精神的な余裕が無い時は、掃除をしたい気持ちにはなれませんので、余裕を持つ事が重要です。水拭きをすると、埃が取れ、部屋が明るくなってきます。今後も水拭きを継続したいです。
毎日お掃除をしていると、手短に処理ができ、時間は節約されてきますが、掃除範囲が広がってきます。その分掃除時間トータルが長くなってきます。その日その日で時間が異なってきますので、掃除範囲、配分をきめることが重要になってきます。時にはこの辺でまーいいかが大切です。
床から埃りが舞い上がらないと、その上に有る机、棚などが、埃で汚れにくくなってくると思います。従って床は毎日クリーニングが必要になってくると思っています。お日様が部屋の中に入ってくる冬時は、埃が目立ち、拭いても拭いても埃が取れません。舞い上がった埃が直ぐに床や物にくっ付き、がっかりすることもあります。そんな時には、お日様が逃げてからの拭き掃除が良いと思います。
通常は水拭きをしています。カビ取りは、塩素系を使用しています。油汚れは、マジックリンを使用しています。天井に生えるカビ取りは、塩素系の洗剤が効果的です。台所で使用している小型扇風機の羽の清掃は、マジックリンで、油汚れを落としています
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言わせて一言;何もできないので;LET ME JUST SAY ONE THING (私に一言わせてください)
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
世の中の出来事を見ていると自分の意見を誰かに言ってみたくなります。このWEBページで一言言わせてください。
私も社会で行われている出来事を真に受けると、一言言ってみたくなります。誰に言うでもない、一言で、うっ憤が晴らせられれば、それで良いのです。どこかの県の方言で、「ねんごうをたれる」と言う言葉がぴったりです。誰でも誰かに言ってみたくなる一言、ねんごうをたれてみたいものです。一番良い方法は、猫や犬が近くにいる人は、猫や犬に向かっての一言がいいのではと思います。もちろん彼らからはスルーされるでしょうけれど。。。。
コロナ禍で、オリンピックの話題がテレビのワイドショーを賑わわせています。私はこの件で一言いいたいです。私達国民は、責任もって、オリンピックを開催すべきです。私達にできることは、コロナに罹患しないように、気を引き締めて、生活することでしょう。一歩家から出る時には、気を引き締めて、行動することだけです。外出の目的を明確にし、寄り道をしないように、なるべく短時間で用事を済ませてしまうことです。今は人ごみを避け、集合する行事は遠慮することです。今の時期に、行事案内が来ています。人を集めることは必要でしょうが、この時期は遠慮させていただきます
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ゆふいんの森5号で由布院に行ってきました;WE VISITED YUHUIN BY YUHUIN NO MORI 5 GOU
雑感PDF 動画ファイル(MP4)
由布院を散策し、由布岳を望み感動し、好天に感謝しています。
満を持して、由布院を訪問しました。博多までは新幹線で、博多からゆふいんの森5号を利用しました。久大本線を利用するのはもちろん初めての経験でした。山並みの景観は興味が持てるものです。九州は小倉から長崎までは利用した事が有りますが、博多以南は未経験でしたので、由布院は楽しみでした。天気が良かったので、恵まれていました。由布岳も好天ですっきりと見え、我々を歓迎してくれました。観光客が多く、大変な賑わいでした。良い思い出になりました。
或る放送局の番組で、由布院の歴史を放映していました。久大本線が由布院駅で大きく曲がっている理由が分かりました。テレビ放映の前までは、路線の形状などは全く興味もなく、認識していませんでした。野矢駅から、南由布駅までのショートカットが路線では有り得るかとも思いましたが、由布院駅を飛ばす案はないのではとも思います。線路は直線が良いとは限りません。山、谷、川などの地形、線路創設時の出来事などが反映された結果の路線の形状だろうと思います。
大分に入るには、日豊本線を利用することもできます。次回機会があったならば、この路線を利用してみたいと思います
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GOU
本社ではスペイン語会話でステップアップしました。
アイテム73に私の十大危機を述べさせていただきました。これらの危機はお陰様で何とか克服できました。克服するために様々な活動をしました。結果、私の能力のステップアップに繋がって行ったと思います。仕事のやり方の会得、外国語会話の会得、海外の人との付き合い方の会得、社内の上司、部下に対する対峙の仕方などレベルアップして来たと思っています。人間ピンチにならないと磨かれません。ピンチは来ないことに越したことはありませんが、ピンチは大変ありがたいものと思って、それに立ち向かって行きたいと思います。
私の最大の痛恨ミスは工場時代の組合活動でした。職制になれる条件は組合活動経験が有るかによるところが200パーセント影響することを知ったのは、同期が職制になった時点でした。仕事はある程度はできなければなりませんが、優先順序は、まず組合活動をすることだったのです。職場委員、職場長、執行委員、組合専従と組合活動は、有ったのですが、私は、遅まきながら、職場委員からスタートしたのが遅すぎました。職場委員、副職場長、職場長と3年かかる期間です。当時の部長の配慮で、最短で、3年かかりました。この職制になるステップアップは誰も教えてくれませんでした。仕事に夢中になり、先輩を追い越してやるというモチベーションは私の場合失敗でした。これが最大の痛恨の出来事でした
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